飲めない私の言い分 〜 飲み会の飲酒強要について

Togetter - まとめ「飲めない人は飲めない理由をきちんと説明すべき。学生じゃなくて社会人なんだから」

 twitterから話題が広がっている飲酒強要に関する話題。私自身がアルコールに弱い性質で、ビールコップ一杯でも一気に飲むとダメ。ジョッキ一杯だとちびちび飲んでも飲みきれない。ぐらいなので、基本的に飲めない側の立場でしか話はできない。

「酒に弱くても、飲んでいればそのうち強くなる」
これは今までの人生の中で、一番嫌な言葉の一つだと言える。うちの家系は父方母方とも比較的アルコールに弱い体質が多いのだが、飲まされているうちに飲めるようになったという人も多いのだ。だから私も大学を卒業する頃までは、飲んでいれば多少は強くなると思っていた。耐性が出来てくるということ自体はそれほど間違っているとも思えないし。

 大学では学生寮に入り、新歓コンパで日本酒の一気飲みがあったし、部の新歓でも潰れるまで飲まされた。正直きつかったが、一過性のものだと思い我慢した。その後の飲み会でも、気持ち悪くなって吐くまで飲んだ。しかし結局酒の強さは変わらなかった。

大学でも上級生になれば後輩の面倒を見る側になるので、適度にセーブして飲むようになった。この私にとっての適度が、乾杯の時にビール一口、その後はそのコップ一杯のビールと酎ハイか何かを一杯頼んで、飲み会の最後までかかってちびちび飲む(酎ハイも全部は空けない)であるということは、周囲には許容はされていたが、最後まで理解されなかったと思う。「本当は飲めるんだろ?」みたいなことを何度となく言われた。まあそうだよね。みんな自分の物差しでしか他人を測れないから。

 会社に入っても、やはり新歓では飲まされた。まあこれも通過儀礼だと思い、ピッチを早めにして早い段階でトイレに籠もって吐いた。そのあとは項垂れてグロッキーな感じで隅の方に居た。これも大学の頃に身につけた処世術だ。まあそんな状態でも飲ませようとする先輩が居るのだから、世の中は信じられない。普段から良い人で、悪意などぜんぜん無いことは疑いようも無いのだ。きっと本人にしてみれば、酒を勧めることが好意なんだと思う。

 何度かダウンして見せるのと共に、新入社員というプレミア感が無くなれば、酒を勧められるケースはかなり少なくなる。また、断れば強いてまで飲ませようとはされなくなる。それでも困るのが、全員にお酌して回るお偉いさんである。「注ぐからそのコップのビールを空けろ」とか無言の圧力をかけてくるし。最初はそれも断れずコップを空けたが、回数を重ねるごとに抵抗して、最近では飲む真似と注ぐ真似で妥協して貰えるようになった。

 こういう経過もあり、酒をかなり拒否できるようになってきたし、飲み会の後で吐くことも殆ど無くなった。先日の自身の出向の送別会では、挨拶に回って注がれるのを適度に飲み(舐め)、適度に流しつつ、二次会の最後までなんとか持ちこたえたのは、我ながら職人芸の域に達しているのではないかと思った。

 「酒を飲めないなら断れば良い」というのは一見正しいようだし、私もその通りに出来ているのだが正直言っていちいち断るのは「面倒くさい」「鬱陶しい」。相手も好意で勧めてくれているのに断るのが心苦しくもある。だから飲み会に出るのがとても億劫なのだ。飲み会の場で普段話せないようなことを話せるのは楽しくもあるが、ともすれば面倒くささの方がそれを上回る。

 普通はこういう事は他人に対してわざわざ言わないので、酒を飲める人にそれを察しろというのもまあ無理があると思う。聞いた上であっても、根本的に体質が違う者の身になって考えろというのも難しいと思う。だから、これを読んだ人にはとりあえず知って貰いたい。知った上で自分なりに考えて欲しい。それだけでも酒を断っている人に対する印象が変わると思うから。

「ホメオパシー In Japan」読了

 2ヶ月くらい前に薦められた本だが、ようやく読み終わった。正確にはだいぶ前に読み終わっていたのだが、最近仕事が体力的にきつくてまとめる気力が出なかった。

 感想を一言で言うと、著者である由井寅子の言にまったく説得力を感じない。これ一冊でホメオパシーを判断することは出来ないと思うが、少なくとも由井寅子に対しての評価は低いとしか言いようがない。

 私の価値観としては、「相手のことをよく分からなければ批判はできない」ということがあり、ホメオパシーに対する批判は控えてきたが、この本において著者は医療を十分に知りもしないで批判している。この著者はホメオパシーの専門家ではあるが、略歴を見る限り(そして本書の内容を見る限り)医療も科学も本格的に勉強したことはないようだ。自身の経験から医療に失望し、かわりにホメオパシーには盲信していることが感じられる。

 本書は「医療に失望している人」「代わりに何かにすがりたい人」にとっては説得力があるかもしれないが、もともとホメオパシーを信じようという気が無い人にとっては全く説得力を持たない。そういう意味では、文字通り「入門書」なのだろう。

 結局、私が求めていた「超微量の法則」に対する説得力のある説明は、本書には無かった。一応説明らしいものとしては、1988年にネイチャー誌に発表された論文についての記述で、

 ベンベニスト博士は、アレルギー物質を希釈しその量を少なくしていくと、ある段階までは勿論アレルギー反応も小さくなるのですが、ある段階になると逆転して反応が大きくなりはじめ、あるピークを境にまた反応が小さくなっていくという現象を発見しました。どこまで希釈してもその繰り返しで反応がなくなることはありません。

少なくとも私の知る限りでは、この実験の追試に成功したという話は聞き及んでいないのだが、

 魔女狩り状態だった発表当時とは変わり、10年経った現在、世界的に権威のある研究所や科学者が彼の研究を支持しています。近い将来ノーベル賞を受賞するだろうとも言われています。

ということであれば、1988年のネイチャー誌以外にも著名な論文誌に掲載された例が幾つもありそうなものだが、なぜ例を挙げないのだろうか。

 また、超微量まで希釈した場合でも反応があるという話だけであったのに、別の項では

その作用を持たせる為には希釈するだけではなく、希釈した水を振盪する(叩く)ことが必要です。

とある。これだけでも実験の意味合いはかなり変わってくる。希釈の度合いだけではなく、同じ希釈レベルで振盪の有無によって反応が異なるというデータがあるのだろうか?

 さらに

 経験的にポーテンシーを高めれば高めるほど、レメディーは肉体から心や感情へと作用していくことが知られています。

ポーテンシーとは希釈震盪の程度のことだそうだが、ということは、やはり肉体的なアレルギー反応は希釈するほど弱くなるのでは?


 上記のように、記述の厳密性に著しく欠ける部分が多い。自分たちの中では筋が通っているのかも知れないが、全く他人を説得できるレベルではない。

 以上により、本書は失望させられる内容でしかなかった。もっとも、これでは著者の個人的資質による所が大きすぎて、ホメオパシーの是非を問うところまでも達していないのだが。

「代替医療のトリック」をネットで購入できた

 先日、「Amazon等のネット書店では品切れ状態にあり、版元でも品切れのようだ。」とか書いていましたが、急転直下、購入できました。

 出版元である新潮社のサイトで「代替医療のトリック」を検索してみると、なんか「購入」というボタンが押せるようになっている。

「どうせ出版社のサイトなんて、更新をサボっているだけなんだろう。」
と思ったが、ダメもとで購入ボタンを押してみた。
 すると、「ご注文内容の確認」という自動返信っぽいメールが来た。どうやら新潮社の直販ではなく、ブックサービスという会社が代行しているようだ。

 きっと翌日くらいに「注文を受け付けることは出来ません」みたいな返信が帰ってくるのだろうと思っていたら、2日後に「本日発送しました」のメールが!

 それでもまだ「他の本と間違えたんじゃないか?」と一抹の不安を感じていましたが、本日受け取りました。本物でした。


 いや〜、良かった。これをAmazonマーケットプレイスで3,000円で売って、と(ぉぃ


 ところで、先ほど確認してみたら、同じ新潮社のサイトでも在庫なしになっていました。
これはたまたま返本で在庫が復活したのを、タイミング良く拾えたということなのかな?

 なんにせよ、今度は腰を据えて読めるので、まずは読みかけた熱の冷めないうちに、「ホメオパシー in Japan」と読み比べながら一気に読み切ってしまおう。

キリストの墓に行ってきた

 青森県新郷村(旧戸来村)にはキリストの墓という物がある。トンデモ系の中ではそれなりに有名かもしれない。説明書きによれば

「昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた武内巨麿氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。」
「古文書によると、ゴルゴダの丘磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。向かって右側がキリストの墓“十来塚”、向かって左側が弟イスキリの墓“十代墓”と言われており、毎年キリスト祭では慰霊祭が行われ、ナニャドヤラの唄と踊りが奉納されます。」

 地元の人も全く知らなかったことが、茨城県の宗教家の家の古文書に残っていたというのが驚きですね。キリストの死後から伝えられてきたとしたら、その古文書は古事記日本書紀よりも古い?

 ついでに同じ村の山中に、大石神ピラミッドという物もあります。同じく武内家の文庫に秘蔵された神代史によると、「わが国にはエジプトのピラミッドよりなお古い数万年前のピラミッドが7基ある」ということで、同じく昭和10年に戸来村を訪れた日本画家の鳥谷幡山も大石神を見て「これで4個目だ」と喜んだそうだ。

 どちらの話も、どこがおかしいというか、むしろ一つでも確かな根拠はあるのか? というような話である。

 半村良の「戦士の岬」という小説は、主人公達がキリシタン埋蔵金伝説をでっち上げたら本当に金が出てきてしまった。という話であったが、「黄金伝説」でもこの辺りが舞台になっていたこともあるし、案外これらも元ネタの1つだったりするのかもしれない。

 今となっては誰も信じていない話なので、ニセ科学(史学)といっても罪のない笑い話と言えるが、トンデモ系史跡としてはある意味で典型的な例かも知れない



写真1:キリストの墓の説明文

写真2:キリストの墓 この対面に弟イスキリの墓がある

写真3:大石神ピラミッドの太陽石

「代替医療のトリック」読み終わらず

 図書館で「代替医療のトリック」を予約して、借りられたのだが、読みかけの他の本を先に読んだりしていたこともあって、貸出期間の間に読み終わることが出来なかった。
 期間延長をお願いしようと思ったのだが、既に次の予約が入っていたため延長は出来なかった。
仕方ないので、再度予約しなおして順番待ちだ。

 しかしもう一度借りられるとしても、また2週間で返さなければならないのが難点。難しい問題なだけに、じっくり腰を据えて読んでおきたい本であり、議論の中で引用や参照を行うために手元に置いておきたい類の本だ。

 しかしAmazon等のネット書店では品切れ状態にあり、版元でも品切れのようだ。今すぐ入手するできる方法としては、Amazonマーケットプレイスで中古をプレミア付きの価格で買うぐらいだが、それもなんだか腹立たしい。

 本自体は2010年1月発売ということで、まだ出版されて間もない。図書館で予約しつつ再版を待つのがいいのかなあ。


 こちらの本と入れ違いに、同時に予約していた「ホメオパシー・イン・ジャパン」の順番が回ってきた。こちらはできるだけ期限内に読み終わるようにしなければ。

本の電子化を始めたが……

 やはり入手が容易な本以外にカッターを入れるのがためらわれ、解体する用の本をブックオフの100円コーナーから買い漁ってきて、少しも蔵書が減っていない(むしろ増えている)という本末転倒ぶり。

 失敗しない自信が付いたら手を付けるんだよ。嘘じゃないんだからねっ!

ドキュメントスキャナ購入

 新居にも落ち着いてきたので、本の電子化のため、ついにドキュメントスキャナを購入してしまった。

 ネット上の情報を見る限りでは、富士通ScanSnapが圧倒的なシェアを誇っているようなのだが、そちらではなく CanonのImageFORMULA DR-2510C を選択。

 理由としては実際に比較してImageFORMULAを選んだ人の評価が高いこと、値段が安いこと*1などがあるが、最大の理由は「自分は天の邪鬼なのでマイナーな方を選びたくなった」ことなのだと思う。まあ性能的に大差があればそうも言っていられなかったけれど、カタログスペック上ではあまり差がなかったので。

 裁断機の購入も考えてはいるが、多枚数を一度に裁断できるタイプは、高価な上にものすごく嵩張る。それに、一度まとめて処理してしまえば、そんなに頻繁に使うものでも無いだろう。ただ、手作業だとかなり面倒くさいので、悩み所。折衷案として、一度に処理できる枚数は少ないが、軽く嵩張らないディスクカッタータイプも検討してみる。また、裁断機レンタルというのもあるようなので、それも一つの手か。



 話は変わるが、新居の近くの図書館に行ってみた。蔵書はなかなか充実している。

 以前にコメントで薦めていただいた、ホメオパシー代替医療の本もあるようだが、残念ながら貸し出し中だった。今度行った時に予約しておこうかな。

*1:ヤフオクAcrobat抜きのものを買うのならScanSnapの方が安いが