「仏陀再誕」を観てきた

例の「100席くらいしかない小さな映画館」で観てきた。

アニメの声優がすごく豪華なこと等でネットで話題になっていたけれど、私は「幸福の科学」とは縁もゆかりもないので、正直なところ観るつもりはなかった。しかし行きつけの映画館で上映されるたことになった。その映画館なら一回あたり600円の回数券で観られるのである。おそらく観る機会は二度と無いだろうと考え、怖い物見たさで行くことに決めた。

平日20:00〜の回だったが、客は私の他に1人だけ。相変わらずだな〜と思っていたら、本編の前の予告編の間に4〜5人くらい入ってきた。



〜かなり噛み砕いたあらすじ〜

怪しげな宗教団体の教祖が「自分は現代に再誕した仏陀だ。世界は滅びようとしている。私を崇めて従わなければ皆死んでしまうぞ」と言って、念能力でUFO襲来や大洪水の幻覚を皆に見せる。主人公達は真の仏陀である「空野太陽」先生に従って、それを阻止するために動く。主人公達のピンチに空野先生が立ち上がり、教祖と対決する。「偽物を信じれば身を滅ぼすことになる。だが、私の言う真の教えに従えば助かるだろう」と言って教祖の幻覚を破り、更にその後ろで操っていた悪魔と対決し、それを倒す。主人公達はこれからも真の仏陀の教えを広めていこうと決意する。



…かなり悪意が入ってしまいましたが、まあこんな感じ。
悪者の教祖(「操念会」の荒井東作という名前だが、某学会のパロディなのだろうか)のやっていることはおかしいが、空野先生のも同じ論法なんじゃないか?とか疑問に思ったためこのような要約になっている。しかし空野先生が仏陀であるという視点に立って考えると、言っていることは全て正しいことになり、私の考えの方が言いがかりになる。ここに考え方の断絶がありそうだ。

このあらすじを読むとトンデモ映画だと思うだろうけど、実際はそうでもない。作品中の空野先生の説法とかは、ごくまともなことを言っている。貪欲、怒り、妬みを捨てよ、とか。死後の世界や輪廻転生については否定する人もいるだろうが、宗教ではごく普通の概念だろう。
この作品だけを見る限りにおいては、キリスト教の聖書の物語や仏教説話の物語と内容的に違いはない。違うのは背景にある宗教だけだ。まあそこが最大の問題なんだけど。

宗教(一神教)って基本的に「自分たちこそが真の教えだ→他は偽物だ」という姿勢がある。(現代では多神教はマイナーなのでここでは除くことにする)しかし、神ならぬ身の人間としては、どれが正しいかなんて判断できない。(もちろん人間の目で見ても明らかに破綻している宗教は論外)いったいどうすれば良いのだろうか。

一つには最初に親やコミュニティに教えられた宗教を信じ、それに疑問を持たないという方法がある。どうせ判断する能力がないのなら、どれを選んでも同じだ。もう一つは、何も信じないという方法。唯一の真の教えが存在するなら、誰の目から見ても疑う余地はないはずだ。疑う余地がある限りは「≒真の教え」ではあっても「=真の教え」ではない。
私は表向きは前者の葬式仏教であり、思想的には後者である。

唯一の真理なるものが存在するとしても、おそらく人間には完全に理解することは出来ない。それができる者が居るとすれば神に選ばれた預言者だけだろう。しかしその真理は、人間を介して伝えられていく間に、人間の理解できる形に変質していく。とすれば、宗教とは「群盲象を撫でる」のような物なのではないだろうか。であれば、「自らこそが真の教えである」と言ってしまうことは傲慢なのではないだろうか。

というような考え方が科学的な感じで自分的にはしっくりするのだが、もしかすると私は既に「科学教」という宗教にどっぷりと浸かっているのかもしれない。



ところで、この映画のアニメ的な評価もせずには居られないのだが、とにかく声優は豪華。主要な登場人物は聞き覚えのある声ばかりだ。単純に凄い。
だがしかし…パッと見でバッタもんっぽい印象を受けた。絵が酷いわけでもないし、声優の演技力も問題ない。しかし、既存のアニメ作品を上っ面だけ上手に真似たような感じなんだよなあ。面白いアニメ作品を作ることが目的ではなく、大川隆法の教えをうまく伝えることが目的だから仕方がないのかもしれない。宗教のPRビデオとしては良い出来かもしれないが、アニメファンにはお勧めできない。

実は一番の驚きはスタッフロールの後にあった。協賛企業がずら〜っと流れるのだ。横5列で縦10行くらいに会社名がえんえんと数百社流れる。(有)とかが多かったから、地方の自営業の方などが多いのだと思う。これが一番インパクトがあったかもしれない。