数値化が全てではないが / twitterならではのネットコミュニケーション

404 Blog Not Found:Math - 比較に数値は必要か?

 このエントリを読み、私はまず

『「体重をしられたくない」「天秤はあるが体重計は無い」のような特別な事情が無い限りは天秤を使う利点はない。/必要も無いのに天秤を使うのは懐古主義者だけ。』
というようなブコメをつけた。*1タイトルにひきずられた部分が多かったのだが、この考え方がまさにdankogaiが指摘しているところなのであろう。

 多くの場合は大は小を兼ねる。ここで言う大が体重計(計量秤)、小が天秤である。最初のブコメに書いたように、多くの場合は計量秤で数値化した方が汎用性がある。数値化するデメリットがなければ、数値化を否定する必要は無い。数値化できない物だけ天秤で比較すれば良いのだ。一般的にはこれが実用的な考え方だと思う。数値化以外の方法を全く忘れてしまうようでは問題があるが、過大に評価するのも懐古主義に過ぎない。バランスが重要。そして私にとってのバランスの位置は、やはり「必要な時だけ使う」で良いと思う。

 ただし、「綺麗の価値に、値段なんて付けられない。」「値段をつけなきゃ、比べられない。」に対して上の論理をそのままあてはめられるかというと、単純にはいかない。体重が重さという共通単位で計量できるのに対し、綺麗を量る単位は一意には決められず、値段というのは尺度の一つでしかなく、しかも値段をつける場合には綺麗さ以外に希少性や扱いやすさなどの要素も加わってくるので、綺麗さを値段で量ることは必ずしも適切とは考えられない。


ところで

masahirok_jp「綺麗の価値に、値段なんて付けられない。」
に対する
GkEc「値段をつけなきゃ、比べられない。」
という返事の時点で、意識にズレがあるように思う。

「綺麗の価値に、値段なんて付けられない。」から私は
・綺麗の価値は数値化できない
・綺麗の価値を数値化できるとしても、自分はしたくない
・綺麗の価値を数値化できるとしても、お金で量るのはイヤ

等の意図を感じた。それに対して「値段をつけなきゃ、比べられない。」は、比較することが前提になっており、しかも比較基準を値段に限定している。この時点でズレが生じている。

それに対して
dankogai「んなことない。a,bの値がなくともa*2

 さらに遡ると、どうやら「綺麗の価値に、値段なんて付けられない。」は
moni_a:「@mrkmita に教えてもらったLUSHの危機一髪ぐぐった。1〜2回分で1,880円。私の髪だとたぶん1回分。これを高いと見るか安いと見るか。美容院のトリートメントと比べたらたしかに安いけど、美容系ブログで1回2千円なんて安い!というコメを見て、女子はすごいと思ったところ。」
への反応だったらしい。この時点で、私の「綺麗の価値に、値段なんて付けられない。」の分析も全く的外れであったわけだ。

 こういう、発言者の意図に関係無く言葉が一人歩きして展開していき、それを是とするところがtwitterらしいコミュニケーションと言えるかも知れない。これを素直に認められないのは、私の頭が固いからなのだろうか。

*1:その後エントリやTLを読み直して、現在のブコメに書き換えた。

*2:まあ、そのdankogaiのエントリに対して、最初のブコメのようなコメントを付ける私が言える話でもないのだが。