ホメオパシーを自分なりに解釈
最近、ホメオパシーに関するページをいくつか見た。
まず発端となったのがJBpressのこの記事。ホメオパシーの原理などについて、簡単にまとめた説明がある。
世界で最も安全な医療 自然治癒力を高める「ホメオパシー」 JBpress(日本ビジネスプレス)
そして、この記事等を題材にして書かれた次のページを見た。
幻影随想: JBpressのホメオパシー礼賛記事を笑い飛ばせない理由
その中で触れられていたのがこのページ。
ナイチンゲール曰く、「ホメオパシー療法は根本的な改善をもたらした - NATROMの日記
JBpressの記事によればホメオパシーには3つの主要な法則があるらしい。
「同種の法則」
ホメオパシーの根本的な原理は、「症状を起こすものは、その症状を取り去るものになる」という「同種の法則」。例えば熱が出た場合、西洋医学では解熱剤を投与して熱を下げるが、ホメオパシーでは、これとは全く逆に熱を出す作用のあるものを体内に入れ、自然治癒力を活性化させる。
「超微量の法則」
詳細は後述するが、ホメオパシーでは、同種の原則に基づいて、ある作用を持つ植物や鉱物を徹底的に薄めた液体をしみこませた砂糖玉「レメディー」を舌の下に入れる。
具体的な治療方法はこれだけだが、このレメディーを作る際に重要なのが「超微量の法則」なのだ。これは、レメディーの原料となる鉱物や植物を徹底的に希釈し、元の物質がほとんどなくなるまで薄めることによって効果を生み出すというもの。
そして面白いことに、薄めれば薄めるほど効果は高くなるという。
「震盪(しんとう)の法則」
3番目の特徴が「震盪(しんとう)の法則」。これは、レメディーを作る時に、激しく振って作るのだ。振ることによって効果が高まるという。
「同種の法則」は、免疫療法や予防接種のようなものだと考えれば理解できる。実際は免疫療法とは似て非なる物なのだが、考え方としてはアリだ。
「超微量の法則」が全くわからない。多すぎると体に害があるので、適度に薄める必要があるというのなら分かる。しかし「薄めれば薄めるほど効果は高くなる」を説明できるような考え方は他に見たことがない。
「震盪(しんとう)の法則」は、振ることに効用があるかどうかは別として、基本的にはよく混ぜた方が良いということは納得できる。
結局の所、この「超微量の法則」が理解できないため、単なるトンデモな疑似科学ということで自分の中で片付けてきた。でも、人間が考えた方法である以上、疑似科学であろうが何らかの意味があるはずである。
ところが今回、「幻影随想」と「NATROMの日記」の記述を見たことで、自分の中で折り合いの付く説明が出来るようになった。
ナイチンゲールの「看護覚え書―看護であること・看護でないこと」からの孫引きになるが、
ホメオパチー療法は素人女性の素人療法に根本的な改善をもたらした。というのは、その用薬法はまことに良く出来ており、かつその投薬には比較的害が少ないからである。その「丸薬」は、どうしても善行を施して満足したい人たちが必要とする一粒の愚行なのであろう。というわけで、どうしても他人に薬を与えたいという女性には、ホメオパチーの薬を与えさせるとよい。さしたる害とはならないであろう。
つまり、どうしても他人に薬を与えたいという女性のきわめて有害な愚行を、さして害のないものにするという意味で「素人女性の素人療法に根本的な改善をもたらした」と言えるのである。
ここからは私の推論なのだが、ホメオパシーというのは本来そのような目的で考えられたのではないだろうか。つまり、「素人が使っても害がない、あわよくば偽薬効果も期待できる民間療法」である。
まず「同種の法則」。これが「偽薬効果」の肝であり、効果がありそうだという印象を与えることができる。しかし免疫療法を行うためには、入れる物質の量が多すぎれば体に害があるし、少なすぎれば十分に効果が得られないため、専門知識と経験が必要である。
ここで、害を起こさないために必要なのが「超微量の法則」なのだ。痕跡の無いくらいまで成分を薄めたレメディであれば、間違えて大量に使用したとしても害が無い。
さらに、希釈する際に十分に混ざっていないと、一部分だけ成分が濃縮された箇所が生じる可能性がある。よって害が無いレベルまで間違いなく希釈するために、「震盪(しんとう)の法則」が必要なのである。
このような療法が考えられた背景には、現在の日本ほど簡単に医者にかかることが出来ず、主に民間療法(時として効果がないばかりではなく有害でもある)に頼らざるを得なかった環境があるとも考えられる。
ホメオパシーが疑似科学であるという評価に変わりは無いが、こう解釈すれば自分なりに収まりが良くなった。もっとも、根拠が無いのだから、声高に言ったら疑似科学と変らないのだけど。